足し算芸術としてのアニメ(5)



第5回。なぜアニメ表現論を長々と書いているかは次回説明するので、今は進めるのみ。




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◯続・装飾について

『けいおん!』『けいおん!!』(2009~2010年、原作:かきふらい、監督:山田尚子、制作:京都アニメーション)TVシリーズ全14回+27回




さて、前回扱った『ピンドラ』は装飾芸術の極地であった。サンプルとしてはちょっと変過ぎる。では装飾的足し算のもっともわかりやすい例は何かというと、「唯のTシャツ」である。




日常系(空気系)アニメと呼ばれる『けいおん!』の主人公が着るTシャツには、いつもどうでもいい変な文字が書いてある。そりゃ4コマ漫画原作の脱力的なゆるいギャグアニメなんだからTシャツが馬鹿げていてもいいでしょ、と思う人がいるかもしれない。だが、『けいおん!』はだいぶリアリズム寄りの作品だ。変な文字が書いてあるのはいいとして、それを見た同級生たちが誰もTシャツに触れない、つっこまない、というのは明らかにおかしなことなのだ。

『けいおん!』という作品は、高校時代の些細な日常を丁寧に描くことで多くの人の共感を得てきた。そのためには、実在する街や学校を緻密に描いた背景画、本当にありそうな教室の備品や小物、誰もが友達と交わしてきた無意味でくだらない懐かしい会話、放課後の校庭に満ちる夕焼けの赤、、などなどをできるだけリアルに描いていく必要がある。このリアリズムの次元と、唯のTシャツが存在している次元は違う。難しいことばで言えばTシャツはメタ空間にある。これが僕の定義したアニメにおける「装飾」である。装飾は作品外にコミュニケーションを発生させる。次回の唯のTシャツには何の文字が書いてあるんだろう?という別次元の楽しみがひとつ増え、それについてファンたちは議論する。




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ところで、装飾がコミュニケーションを発生させる瞬間というものを、ニコニコ動画においては目で確認することが出来る。

ニコニコ動画とは日本では既に一大勢力となった動画共有サイトで、動画の上に視聴者のコメントをオーバーラップさせて流すというスタイルを取っている。ここで例えば『けいおん!』を視聴し、変な文字Tを着た唯が画面に映るとどうなるか。一気に、「Tシャツww」「ロマンスwww」というだけの脊髄反射的コメントがどばっと画面上を流れるはずだ。『ピンドラ』だったら、「ちょwwwペンギンwww」等のコメントの嵐になることは想像に容易い。基本的には、変なものが現れた際にそれが変であるという指摘をする=「つっこむ」というコミュニケーションが一番多い。







さて、『けいおん!』を取り上げたことで建築の話に少し近づく。『けいおん!』の舞台である<豊郷小学校>(1937年)が、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の校舎だということ、これは非常に重要な問題を含んでいる。なぜなら、ヴォーリズは現代では稀少人種になってしまった「足し算的建築家」だったからだ。彼は最近の建築界ではほとんど黙殺されている人物である。そして、内田樹が再評価した人物である。

<豊郷小学校>で一番有名な場所は「階段」である。手すりにイソップ童話の「ウサギとカメ」の小さな銅像が鎮座しているからだ。ヴォーリズは上階へ続く手すりを長い道のりに見立てて、ウサギとカメの競争を表現した。いまの建築家でこのようなことが出来る人はほとんどいない。なぜなら建築が建築たる所以は「コンセプト」や「純粋性」であり、いくら「装飾」を足しても「建物(たてもの)」はできるが「建築(けんちく)」はできない、というのが無意識的な常識となっているからである。では、このウサギとカメは建築とは関係のないものだから意味がなかったかというと、コミュニケーションのレベルでは大いに意味があるのだ。現に、竣工から72年が経ったただの学校が『けいおん!』というアニメによって選ばれ、ついでに亀のキャラクター「トンちゃん」が生まれているんだから。

ヴォーリズ建築はコミュニケーションと親和性が高い。だから、高校時代の人の触れ合いを描いた『けいおん!』において、<豊郷小学校>は6人目のバンドメンバーとして選ばれたのだ。登場人物と同じか、それ以上に、ほんとうに丁寧にその優しい表情が描かれている。




一方、視覚的ショックを与える画面を必要とする『化物語』系列のアニメ『偽物語』(2012年)では石上純也の<KAIT工房>(2008年)、三分一博志の<brood>(2005年)が出てくる。『ピンドラ』では大々的にレンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースの<ポンピドゥー・センター>(1977年)が使われている。もちろんこれらの作品は素晴らしい建築作品であり、視覚的ショックだけを目指して作られたものでは断じてない。しかし、単純な図に還元できるという点では、今後もスタイリッシュな絵作りに使われていくだろう。







というわけで、ここ2回の内容をまとめると、「アニメは装飾を用いることで多くの人の関心を引こうとする」ということだ。




なぜか?




ものすごくあたりまえだ。収益モデルがそうなっているからだ。





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