足し算芸術としてのアニメ(5.5)



勢い良く「さぁその6にいってみよう」とか言ったものの、ちょっと休憩したくなったのでオススメアニメを勧めるという趣旨に戻ってみる。

今回は趣向を変えてSF以外のものをピックアップしてみる。




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◯ドラマをどう組み立てるのか

『CLANNAD ~AFTER STORY~』(2008~09年、原作:Key / ビジュアルアーツ、監督:石原立也、制作:京都アニメーション)TVシリーズ全24話

『とらドラ!』(2008~09年、原作:竹宮ゆゆこ、監督:長井龍雪、制作:J.C.STAFF)TVシリーズ全25話




泣けるアニメといえばだいたい1位2位あたりを取る『CLANNAD ~AFTER STORY~』と、5位圏内あたりに入ってくる『とらドラ!』。人並みに涙腺の弱い僕も泣かされた。ところで「全米が泣いた!!」とかよく聞くけど、泣いたと泣いてないの境ってどこにあるんでしょうね。




LV.1 乾き目が潤う

LV.2 うっすら涙を浮かべる

LV.3 目頭が熱くなる

LV.4 涙が溢れる

LV.5 大粒の涙がぼたぼた落ちる

 

僕の場合、『とらドラ!』はLV.4、『クラナドAS』はLV.5満点合格でした。こう言うとわかりやすいでしょ。全米が泣いたも「全米が泣いたLV.5!!」とか言ってくれればこちらも「ほう。視聴してみるかね」となるんだが・・・。というのはさておき、より涙が出たのは『クラナドAS』だが、好きなのもオススメなのも確実に『とらドラ!』。その辺の話でお茶を濁すよ今回は。




『クラナドAS』はギャルゲーが原作。アニメとしては1期の『CLANNAD』の続編にあたる。1期は学園生活を送る主人公・岡崎朋也といろんな女の子たちとの触れ合いを描く、まぁ誤解を恐れずいってみればオタク向けアニメなのだが、これは正直見てるのが辛かった。女の子たちが抱える過去のトラウマを解決してあげて感動!みたいな感じなのだが、登場する女の子たちが萌えキャラテンプレみたいな血の通ってない人たちで、だいたいが言葉は悪いが白痴みたいな言動しかしない。女性を征服したい男の願望がねじれまくった感じで、これで感動している人の気がしれないと個人的には思ってしまうのだが、一転して『クラナドAS』は全く違うアニメに変化する。(ゲームはやっていないのであくまでアニメ評です)




1期は高校時代に彼女と付き合うところまでをファンタジックに描いたのだが、2期は卒業・就職・プロポーズ・同棲・結婚・出産そして・・・という人生の俗なるイベントに即して進んでいく。登場人物も自分の親や相手の親といった家族に限られてくる。夢よりしみったれた現実を描くけっこうめずらしいアニメである。『クラナドAS』は、人生の最大イベントを次々に進めていくというスタイルによって物語を駆動させる。「イベント」が登場人物の感情のクライマックスを何度も引き起こし、ドラマを巻き起こす。「イベント」の足し算によってできているのだ。視聴者は、1期のあどけなかったヒロイン・渚が、作画上もだんだんと大人の女性になっていくことをしみじみと味わいながら、主人公と二人で人生の大きな決断をするその瞬間の美しさを共有し、感動する。

この作品で最も美しいのは17話・18話で出てくる二人の子・汐(うしお)である。ある理由により5年間半ば育児放棄していた主人公が、はじめてまともに娘と喋り、二人で旅行に出る。このときの父親と5歳児のぎこちない緊張感と少しずつ歩み寄る心、この2話の演出は神演出と言って良い出来で、ここでLV.5まで泣かされることになるのだ。涙が滲むとかいうレベルではない。落ちるのだ、ぼたぼたと。




「泣ける」=「泣けるストーリー」と考えるのが普通だと思うけど、言い過ぎると実はストーリーなんかたいして重要じゃないのだ。「泣ける」=「泣ける演出」だと僕は考える。どんなによいストーリーでも演出が悪ければ泣けないが、演出が良ければどんなにありきたりなストーリーでも泣ける。ストーリーと演出はそういう力関係だ。これは、ストーリーというものが頭で理解するものであるのに対し、泣くのは体であり、身体(無意識)に働きかけるのは演出のほうだ、ということである。

たとえば『クラナドAS』17・18話は音楽の入れ方が素晴らしい。汐が初めて画面に顔を出す瞬間の、森の精霊にでも出会うような神秘的な音楽、一転して静けさのなか鳩とセミの鳴き声だけになると二人の緊張感が伝わる。そして徐々に緩和すると明るい曲へ。演出は無意識に働きかけ、涙へ至る道を整備していく。

汐の声の演技もまた神がかっている(CV:こおろぎさとみ=クレしんのひまわり等)。汐の受け答えや動きもほんとうに生きている子供のようだ。何気なくご飯つぶを指で潰したり、人を見るとき無表情にまっすぐに見る。汐はジブリ的な無限のパワーを持つ子供でもあり、もう十分に空気を読む繊細で利口で都会的な人間でもある。アニメ的な過剰な表現を禁じ、リアリズムに徹することで、その微妙な感じが高い再現性で実現されている。ここではその演出がピタリとはまっている。とにかくこの2話は最大級にオススメなのだが、この2話を万全に見るために最大級にオススメしない1期から見なきゃいけないというのがつらい。(しかも慣れていない人は「いたる絵」と呼ばれる特徴的な絵で拒絶する可能性が高い)




これだけ言っておいて『とらドラ!』のほうがオススメだというのもどうかと思うが、『とらドラ!』がすごいのは、イベントに頼らず人の心を表現したところなのだ。告白するとか人が死ぬとか、みんなで大ボスをやっつけるとか、地球が滅亡するとか、だいたい感動するシーンというのはイベントの大きさや設定に頼るところがある。『クラナドAS』もそういう観点では、ありきたりなものだ。だが、イベントの足し算ではなく、日常の微分で25話を描ききったのが『とらドラ!』である。




『とらドラ!』は高校2年生の1年間を描いたラブコメで、主人公の周りに3人の女の子が登場する。イベントは新学期、水泳大会、夏休みの旅行、学園祭、クリスマスパーティ、修学旅行、バレンタインデーとベタなものしかない。だが、この特別なことの起きない1年間のなかで、3人の女の子の「好きな人を思う気持ち」と「他人を応援する気持ち」、「優しさ」と「意地悪さ」といったパラメータが、ちょっとした日常の言動によって刻々とぐりぐり変化する。それぞれが繊細な三次関数F(x,y,z)を抱えていて、はじき出された数値が他の2人の関数に影響を与え、再び連鎖していく。だからたいしたイベントがないのに無駄な回がない。『とらドラ!』を見た人はだいたい2周目を見たくなるはずだ。1周目ではよくわからなかったあの時のあの登場人物の言葉は、数学的帰納法によってなるほどそうだったのか、と。最初は大河派だったけど、みのりんの良さに気づいたとか、3周したら今度はあーみんが良かったとかいう会話が成り立つのである。イベント主体の恋愛ストーリーは男性でも作れるが、こうした女心の数学は女性だからこそ描けるものである。原作が女性作家による、少女漫画の要素を取り入れたライトノベルであったことが大きいのだろう(読んでないけど)。

ちなみに『とらドラ!』の3人の女の子、逢坂大河、櫛枝実乃梨、川嶋亜美は、『クラナドAS』のリアリズムに比べるとずっとアニメ的な造形だ。ザ・ツンデレ、明るく元気なスポーツ万能タイプ、美人だが高飛車で口が悪いタイプ。現実の人間というよりかなり戯画化された人物像だ。だが、この萌えアニメ的キャラ造形は話が進むに従ってどんどん崩れて生臭い人間になっていく。萌えキャラと思っていた人物が感情丸出しの喧嘩・殴り合いをする様はなかなか爽快だ。キスシーンの描き方も含め、全編を通して男だけではこういう想像力には至らないだろうな、という感じがする。




・・・などと長々と書いてしまったけど、『とらドラ!』はそんなことぬきに非常に楽しいエンターテインメント作品だからオススメ。そして細田守監督の『時かけ』で感じた「青春すばらしい!戻りたい!あれ?というかそんな青春なかった!男子校!!」という気持ちが久々にぶり返した作品だった。監督の長井龍雪はヒットメーカーで、この『とらドラ!』の他に『とある科学の超電磁砲』『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』といった超人気作をばんばん世に送り出している。安心してみれます。




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というわけで、無理やりテーマである足し算に引き寄せて紹介してみた。そしたら微分素晴らしいという話になってなんのこっちゃって感じ。





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