ねもはEXTRA『中国当代建築』

ねもはEXTRAの『中国当代建築 北京オリンピック、上海万博以後』はとても刺激的だった。ついこの前まで住んでいた国で、こんなことが起きていたのか、という新発見ばかりだった。
中国は広いらしい。僕が住んだのは上海だが、地図で見る上海なんて広い国土の特殊な点みたいなものだ。そんな、どうやら広いらしい中国の各地で面白い活動をしている中国人建築家や、そのプロジェクトを俯瞰できる本はなかなかない。企画・編集の市川くん恐るべしである。

内容は、隈研吾の巻頭インタビュー、「夏至」という洒落た名前の中国人フォトグラファーによるグラビア、プリツカー建築家である王澍の論文、MADKUUネリ&フー迫慶一郎のインタビュー、建築家をたくさん集めてつくらせる系プロジェクト=〈集群設計〉のレポート、五十嵐太郎の四川大地震被災地レポート、中国人キュレーター方振寧のインタビュー、夏至さんインタビュー、助川剛・東福大輔・佐藤英彰の座談会、14組の中国人建築家の作品集と評論に、いくつかのコラム……。ようするに濃密である。実は僕も見開きのコラムで参加しているのだけど、僕はこの濃密さを薄めるべく頑張った。エスプレッソにグラニュー糖を2粒くらい落としてやった。しかし、僕がまったく語ることのできない濃い中国には歯が立たなかった。古い雑誌を呼んでいると、たまに古いお菓子かなんかがひっついて開けないページってあるけど、僕の見開きコラムこそお菓子がひっついているべきだ。これだけ真面目で熱い本だと事前に知っていたら、角砂糖くらいにしたのにね。


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で、読んでいてよりわからなくなったのは、中国建築界に「界」があるのかどうかだ。どうやら建築メディアが未発達らしいので、まだ大きな流れというものが生れていないのかもしれない。対する日本の建築界って、やはり狭いというか、大きな一つの円のなかで細かな議論が行われているイメージ。同じ話や同じ感覚が通じる程度の距離感に、みんないるような印象である。そもそも日本という国がそうなのだけど。
だからこそ、なぜ広い国土に散らばる中国人建築家たちが揃って「地域主義的表現」の建築をつくっているのかが謎だ。石やレンガを荒々しく積むようなやつ。もちろん、鉄骨造+乾式のような建築をつくれないため、簡単だからという理由で選んでいるだけなのかもしれない。それでも、そうやって荒々しく積まれた面が「作品になる」という感覚が広く共有されているのはなぜなのか。中国人建築家たちは、毎日DezeenArchdailyをチェックしていたりするのだろうか。日本の最若手建築家たちみたいに、お互いの作品を見せ合う講評会(と銘打った飲み会)でもやっているのだろうか。
なぜ気になるのかと言うと、古材の扱い等について彼らが十分にうまいからだ。王澍はもちろん、李暁東の作品なんて写真でみる限り本当に美しい。新興国と言われる中国の建築家にしては老成しすぎている気がするのだけど。
一方で、コールハース系の都市や商業施設に絡んでいくMADなどがいる。個人的には、両者が融合したら楽しいだろうと思う。「ハッチャケ都市系」と「枯れた地域主義系」が手を結ぶ――例えば、MADの〈山水都市〉や、李暁東のブリッジでもある学校などがそれに当たるのかもしれない――と、けっこういいものができるんじゃないかな。なんとなく、文人であることに拘る王澍にそれができるかは疑問だ。むしろ、日本のアトリエ的な華(TAO)はいい感じのバランスかもしれない。四川の学校再建のプロジェクトは、ここで学びたいくらい美しい。


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いま、上海近郊に、隈事務所で僕が4年間担当してきた建築が竣工間近である。とりあえずホッとしたのは、外観が「被っている」建物はなさそうなこと。アルミを全面的に使いつつ、枯れた感じも出ていると思う。中国建築界に良い刺激になれば嬉しい。(竣工後にメディアに出るはず)
逆に焦ったのは、インテリアまでちゃんと作れている(ように写真から見える)建築が思いのほか多いこと。中国は雑って聞いたけど、みんなちゃんとやってるじゃん……汗。インテリアは現在絶賛工事中だが、コントロールできるかどうか自信がない。なまじ「つくれちゃうもの」は、勝手につくられてしまうということがわかった。[2014.5.5]


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