リズム考(1)~(5)においては、どうも嘘なんじゃないかという話をした。ついでに異説として小池理論を紹介した。
いまのところの結論は、「五七五七七は四拍子ではないと思う。でもどう読めば正しいのかは、昔の音声が得られない以上、わからない」である。そして、きっとこの結論は覆らない。
しかし、覆らないなりに、しつこく四拍子説をこねくり回してみると、また発見があった。今回はその話。
以前、短歌は長歌の最後の部分を取り出したものと同じだと言った。では、長歌という形式(五七、五七、…五七、七)における四拍子を考えてみるとどうなるか。
リズム考(5)で私は、「四拍子だと強制的に初句切れ・三句切れに誘導されてしまう」と書いた。もう一度、四拍子=「八」×5で「五七五七七」の読みのリズムを書いてみよう。
1=初句 2=二句 3=三句 4=四句 5=結句
◯◯◯◯◯・・・◯◯◯◯◯◯◯・◯◯◯◯◯・・・◯◯◯◯◯◯◯・◯◯◯◯◯◯◯・
このように書いた上で休符を見れば、初句と二句の間、三句と四句の間に長い「間」を持つことが分かる。言い換えれば、四拍子のリズムは初句切れ、三句切れと相性が良い。(句切れとは意味・文法・調子の切れ目を指す)
よって、四拍子で読む短歌、長歌はこうなる。
四拍子で読む短歌 五、七五、七七
四拍子で読む長歌 五、七五、七五(…)七五、七五、七七
さてここで、実際長歌ってどんなのさ?とネットで調べると、誰もが一度は耳にしたことのある、山上憶良の『貧窮問答歌』が出てきた。この歌は問と答が対になっている歌であり、後半、つまり答のほうはこんな感じだ。(文字数が分かり易いように、左はひらがなで書いた。)
貧窮問答歌
あめつちは ひろしといへど 天地は 広しといへど
わがためは さくやなりぬる 吾が為は 狭くやなりぬる
ひつきは あかしといへど 日月は 明かしといへど
わがためは てりやたまはむ 吾が為は 照りや給はむ
ひとみなか われのみやしかる 人皆か 吾のみや然る
わくらばに ひととはあるを わくらばに 人とはあるを
ひとなみに われもつくるを 人並みに 吾も作るを
わたもなき ぬのかたぎぬの 綿も無き 布肩衣の
みるのごと わわけさがれる 海松の如 わわけさがれる
かかふのみ かたにうちかけ かかふのみ 肩にうち懸け
ふせいおの まげいおのうちに 伏廬の 曲廬の内に
ひたつちに わらときしきて 直土に 藁解き敷きて
ちちははは まくらのほうに 父母は 枕の方に
つまこどもはあしのほうに 妻子どもは 足の方に
かこみいて うれえさまよひ 囲み居て 憂え吟ひ
かまどには ほけふきたてず 竈には 火気ふき立てず
こしきには くものすかきて 甑には 蜘蛛の巣懸きて
いいかしく こともわすれて 飯炊しく 事も忘れて
ぬえどりの のどよひいるに 鵺鳥の のどよひ居るに
いとのきて みじかきものを いとのきて 短き物を
はしきると いえるがごとく 端きると 云えるが如く
しもととる さとおさがこえは 楚取る 里長が声は
ねやどまで きたちよばひぬ 寝屋戸まで 来立ち呼ばひぬ
かくばかり すべなきものか 斯くばかり 術無きものか
よのなかのみち 世間の道
この『貧窮問答歌』において、「五七」と「七五」のどちらが結びつきが強いか。絶対に「五七」である。「天地は広しといへど、吾が為は狭くやなりぬる。」である。「天地は、広しといへど吾が為は、狭くやなりぬる……」では全然意味がわからない。よって、
貧窮問答歌 五七、五七、五七(…)五七、五七、七
四拍子で読む長歌 五、七五、七五(…)七五、七五、七七
という食い違いが起きる。『貧窮問答歌』を四拍子で読むのは、とても気持ちが悪いのだ。
しかし、では四拍子と長歌がそもそも相容れないのかと言えば、そうではない。
実は、短歌も長歌も、古くは五七調メインだったが、だんだんと七五調メインになっていったという歴史がある。一般に『万葉集』(7世紀後半~8世紀後半)までは五七調が主流だったが、『古今和歌集』(9世紀初頭)では七五調が取って代わったと言われている。
万葉集 =五七調、五(軽)→七(重)、重厚な感じ、「ますらおぶり」
古今和歌集 =七五調、七(重)→五(軽)、軽妙な感じ、「たおやめぶり」
五七調では後ろに重心があるから、どしりどしりと踏み固めながら歩く感じがする。一方、七五調は後ろが軽くなるため、体が浮いた感じがする。威風堂々の益荒男振りと、優しく優雅な手弱女振りである。
この変遷を四拍子説の視点から捉えると、「万葉集の短歌・長歌は四拍子で読みづらいが、古今和歌集の短歌・長歌は四拍子で読んでしっくりくる可能性が高い」ということが推論できる。(貧窮問答歌はもちろん『万葉集』に収められた歌である)
さて、新しく「五七調と七五調の違い」という話題が出てきたところで、私は、日本語と四拍子の関係についてこんな説を唱えたい。
「七五調が四拍子を呼び寄せた。」
である。
七五調が始めから四拍子で読まれていたかどうかは知らないが、七五調は四拍子で読むと気持ち良いという事実により、四拍子との結びつきを深めていき、現代に至った。
一方、五七調は四拍子で読めないので、(五七調から七五調への変化の理由は知らないが)結果として現代において廃れた。
どうだろう。
七五調が、日本語四拍子説を招いた。そういう順番だ。だから四拍子説では、七五調よりも古い五七調は説明できない。
という主張である。
今回はここで終わりだが、ついでの話。『貧窮問答歌』には、長歌の終わりに「反歌」が詠まれている。
世間(よのなか)を憂(う)しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
「反歌」というのは長歌のあとに添えられた要約版短歌(もしくは旋頭歌)のことで、長歌は反歌を伴うことが多いらしい。
この反歌の句切れを考えると、「世間を、憂しとやさしと思へども、飛び立ちかねつ鳥にしあらねば。」がしっくりくる。「世間を憂しとやさしと、思へども飛び立ちかねつ、鳥にしあらねば。」ではない。つまり『貧窮問答歌』も反歌に限って言えば「五、七五、七七」の七五調なのだ。
「五七」と「七五」の歴史は、簡単には割り切れないみたいだ。
リズム考(9)につづく
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