足し算芸術としてのアニメ(2)



◯マクロスシリーズ

『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(1984年、原作:スタジオぬえ、監督:石黒昇、河森正治、制作:タツノコプロ)劇場版

『劇場版 マクロスF』(2009年、2011年、監督:河森正治、制作:サテライト)劇場版2部作




マクロスの最も偉大な成果をひとことで言うと、「ミサイルが飛び交う宇宙とアイドルが歌う姿を重ねて映すと人は興奮する」ことに気づいた点である。




1984年、『風の谷のナウシカ』と『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』と同年に封切られた『愛・おぼ』のラストシーンは、全宇宙に向けて歌姫のリン・ミンメイが歌うなかでパイロットの一条輝が敵の親玉めがけて切り込んでいくという、アニメ史に残る名シーンとして名高い。作画の限界に到達せんばかりの描き込み(前出の庵野も参加している)、ミサイルが乱舞する演出=通称「板野サーカス」、派手な映像と同期して盛り上がるアイドル曲のサビ。目と耳に届けられる過剰な「盛り上げ」によって視聴者は我を忘れてしまうのだ。




マクロスシリーズを簡単な式に表すと、「三角関係の恋愛ドラマ + 戦うより歌で敵と和解 + ロボットSF = マクロス」である。最初に挙げたオススメ以外にもマクロスプラスや7、ゼロといったTVシリーズやOVAがあり、ガンダムほどではないにしろ一大サーガを築いている。

マクロスにももちろん伝えたいメッセージがあり、それが究極の形で現れたのが『マクロス7』(1994~95年)である。主人公の熱気バサラは凄腕のパイロットであるにもかかわらず、なんと全49話で2回くらいしかミサイルを打たない。戦闘になると宇宙まででしゃばってきてコックピットでひたすら歌う。宇宙人も地球人も「あいつをどうにかしろ」と困り果てる。そんな男の話は、単純明快に「武器を捨てろ、人間が人間たる所以は武器ではなく文化なんだ」ということを伝えている。




だが僕は、メッセージよりもマクロスの娯楽としての高い完成度のほうを評価する。だから、アイドルとミサイルでお腹いっぱいにさせる、という最も俗なところで成功している『愛・おぼ』と最新作の『劇場版 マクロスF』は素晴らしい。




前にGAINAXの作画を取り上げてアニメの制作というのがそもそも足し算でしか成り立たないと言ったが、さらに人を惹きつける画面をつくるにはかなりの足し算が必要だ。爆発、星屑、光、煙、弾幕で宇宙空間(画面)を埋めていくこと。主人公の機体が手前にあったからといって、画面の右も左も奥のほうも、ただの背景ではなく何かが動いていることが必要だ。要するに描き込みである。『愛・おぼ』も『劇場版 マクロスF』もそれが完璧なのだ。

もちろん画面の隅々まで意味のある動きで満たされればすごいのだが、意味なんかなくてもいいのである。そこにはいろんな技術があると思うが、(アニメーターではない僕が知っている中で)最も手軽に画面を埋める方法として「パーティクル」というのがある。物理演算された細かい断片の動きのことで、これはAdobeのAfterEffectsなどで誰でも手軽に作ることができる。








どうしてかわからないが、人間はこれだけでも魅入ってしまう。(ちなみにセル画時代のアニメーターがすごいのはこれを手描きでやるから、と言えばわかりやすいだろう。)こんな手軽に人を惹きつけられるのだから、素人がつくる初音ミク関連のPVなんかでは多用される。パーティクルを使っているかどうかは別として、どんなジャンルの商業アニメでもいたるところでカラフルな星や光が飛び交う。1話の中で何個の星が飛んだか数えてみると、すぐに数えきれないことがわかるだろう。



色も重要だ。できるだけ多くの色を使うほうが、画面は埋まってみえる(原色である必要はもちろんない)。建築で無数の色を使うことはまれだが、アニメにおいてはできるだけカラフルなほうがいい。なぜなら、これまたアニメにおいては足し算しない限り色は増えないのに対し、建築においてはほっといても微妙なグラデーションが発生し、よく見れば無数の色が存在するからだ。むしろ安易にペンキを塗ることで、白のうちに無数の色を見る機会を減らすことになってしまう。

それからブラー(被写体ブレ)も重要だ。明るい色とブラーを組み合わせると眩しい光になる。これはフォトショップなどを持っている人であれば試すとよいが、写真を取り込んで画面全体をコピーして、片方にブラーをかける。続いてブラーがかかったレイヤの透明度を半分くらいに落として、元の絵に薄く重ねる。すると天国的な多幸感につつまれる。ブラーをつかうことで微細な距離でのグラデーションが発生し、そこに無限に微分可能な色のスペクトルが生まれる。これを美しい少女の白い肌に対して用いれば、純粋で神々しく、誰もが恋に落ちてしまう絵の完成である。




ここまでをまとめると、

A:アニメとはそもそも絵を足していかないと作れない、という意味での「足し算」

B:美しい画面を作るために必要な「足し算」

というのが存在する。




これらを踏まえて『マクロスF』の戦闘シーンのごく一部を見てみよう。マクロスらしいミサイルの演出、「板野サーカス」部分。





十分楽しいがこれはTV版。映画版の戦闘シーンは大スクリーンを光と煙と爆発で埋めるため、これの比ではないほど豪華に足し算するのだ。


「絵でしかないアニメでも、いろんな要素を掛け合わせて、密度を上げていけば、頭でなく心や魂をダイレクトに揺さぶる領域に達することができる」

「エンターテインメントの臨界点を超える」

「歌、セリフ、SE、映像が全部ミックスされたとき、一種の感覚洪水が起きるように試みている」(河森正治)-Wikipediaより孫引き


『劇場版 マクロスF』のラストバトルは足し算の臨界を超える。




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